ロジカルシンキングでは決まった答えしか出ない?

先週のお題の続きです。
どうもロジカルシンキングというと、「堅苦しい」「決まった答えしか出ない」「斬新な答えが出ない」と見られるのが相場のようです。現に著名な大学の先生からも多数ご指摘があります。

でも、それって本当?というのが今日のテーマです。

まずは、「そもそもロジカルシンキングって何よ」から見ていきましょう。何となくイメージでつかむのではなく、実際どのようなものを想定して上記の指摘をされているのか。

おおよそ以下のような捉え方が中心でしょう。
ロジカルシンキングだから、論理学でやっていることと同じようなものでしょ」
ロジカルシンキングMECEです」
コンサルタントが使う3Cとか5つの力だとかいうのを使って分析すること」

まあ、どれも当たりと言えば当たりです。ということで、前回紹介した

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー別冊 「超」MBAの思考法

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で、紺野登教授が喝破された

いわゆる論理的思考とか、ロジカルシンキングといわれる思考法は、演繹と帰納とほぼ同義と言ってよいでしょう(p117)

から、演繹と帰納ロジカルシンキングだとして、果たして同じ解しか出てこないか見ていきましょう。

まず確認。演繹的推論は、単純に言えば三段論法です(あまりに単純化しすぎていますが、簡略化のため)。つまり、ある前提があり、その前提に該当する事実があれば前提の基づく結論が導き出される、というもの。これだと、なるほど誰もが同じ結論が出そうな気がします。ただ、それは全員が同じ前提で考え、全員が同じ事実をもとに考えようとしている、という条件がつきます。果たして、世の中そんなことがありうるのでしょうか? 仮に同じ事実をもとに考えようとしていても、前提の置き方は人によってまったく変わるケースは多々あります。要は算式は同じでも、中に入る数字は人によって変わってくることが現実の世界でしょう。それでも、演繹的に考えると、誰もが同じ答えになるのでしょうか?

(というと、「前提が違うというのはルール違反。あくまで同じ前提で演繹的に考えると同じ結論になる」と主張される方もいますが、それは自分で定義したものを批判するという、何かトートロジカルな印象を受けます)

次に帰納。これもざっくり言えば、共通部分を結論とする推論です。これになると、同じ事象を見て共通項をくくるやり方は人によってかなり変わってくることは相当容易に想像できるのではないでしょうか。

以上簡単に見てきただけでも、必ずしも演繹や帰納といった推論形態を用いるだけで、同じ答えが出てくる保証はないのです。それは前述したMECEや3C等のフレームワークの活用でも同じことです。つまり、「ロジカルシンキング=線形思考=決まった答え」という固定観念がいつの間にか私たちの頭の中にこびりついてしまっているのかもしれません。

じゃあ、ロジカルシンキングで出てくる結論は何でもありなのか、と聞かれれば、それはNoです。その理由を答える前に、ロジカルシンキングにはびこっていると個人的に考えている、ある「誤解」について考えたいと思います。それは、「ロジカルシンキングとは演繹と帰納、つまり(いわゆる)論理学に近いもの」ということです。

何か当然のことのように感じますが、個人的にはこの発想からすべての誤解が始まっているような気がします。詳しくは次回に。