私たちは何故質問をするのか?

いきなり大上段に構えてしまいましたが、最近「質問」ということについて考える機会が増えてきたので、少し頭を整理する上で、「そもそもなんで質問するんだろう?」という素朴な質問について考えてみたいと思います。

1.自分が知りたいことがわからない
 一つ目の理由はありきたりですが、「知りたいのにわからないから質問する」という理由です。というか、これが質問の本義ではないか、と思わなくもないのですが、世の中この種の質問の範疇から外れるものが多いので、あえてあげてみました。

となると、次に自分に突っ込みが入ります。「といっても、自分で答え知っているのに質問するときってあるよね。」なんでわざわざそんな面倒なことをするんでしょう?

2.質問相手に気づかせたい
 要は相手に振り向いて欲しいがために質問する。こんなまどろっこしいことをしなければならない人間は・・・、とため息もつきたくなりますが、私たちはよくやっています。特に「育てる」という場面では。まずは、注意を向けたいわけですね。子供にものをいう時もそうですが、注意を向けるのに大声をあげるよりかは質問の方が効果的なことが多いのでしょう。聞かれたら答えようという半ば条件反射的なものが働くのでしょう。

3.自分の視点を誇示したい
 いやらしい質問ですが、偉い方はよくされますね。「いろいろ話があったけど、要は・・・ということじゃないのかね?君」とかいうやつです。これは気づき目的もありますが、「俺はこういう視点で見たほうが思う(からそうしなさい)」と半ば強制しているようなものですね。この「視点の高さ」争いで主導権を握ろうとするのが日本人のコミュニケーションの特徴だ、ということを内田樹氏が「日本辺境論」で述べてました(個人的には日本人に限らないことだと思いますが)。

4.自分の推論が妥当であることを納得させたい
 これも古くからある質問の目的ですね。いつ頃かと言えばソクラテスまで遡るのでしょう。プラトンの対話篇では、ソクラテスは質問ばかりしている。これは、ソクラテスが知らないわけではもちろんなくて、相手の口を借りて自分の推論の正当性を示しているわけです。誘導尋問もこの一種です。

と、4種類ほど列挙しました。それに加えて、もう一つ質問する目的がありそうです。それは例えば次のようなものです。

ここまで書いて、ふと我に返り、こう自問します。「こんなおちのない記事を書いて、この後どうするの?」


まだおちを考えていないので、次回に続きます。