帰納的推論

どなたかが「ロジカルシンキングは演繹と帰納だ」と喝破されたように、推論の仕方の代表として演繹と帰納は取り上げられることが多い(というかほとんど)です。両者はあくまでも推論形態を分類しただけのもので、どちらがよいとか悪いとか言う筋合いのものではありません。ただ、ビジネスシーンでは「演繹より帰納」的な言われ方をするような傾向があります(逆に「帰納より演繹」と言う論調にはお目にかかったことはありません)。それって本当なのか? ということについて、何回かに分けて考えていきたいと思います。

一点目は、この記述を題材に考えたいと思います。

この研究に当たっては、あえて、既存の経済学・経営学の理論を一旦忘れて、事実を淡々とただひたすらに調べまわることによって優秀企業の共通要因を引き出す徹底した「帰納法的」方法を採った。それは、理論的仮説をもつと、それが正しいことを証明しようとして、実証の方法や経営者との意見交換のやり方にバイアスがかかり、真の「本質」が描き出せなくなることが多いと考えたからである。(日本の優秀企業研究、26ページ)

この記述から、筆者は暗に帰納的な推論は「余計なバイアスがかからない」「事実を淡々と観察する」方法だと考えていることが分かります(最後の「真の本質」云々という大言壮語は無視します)。

でも、それって本当でしょうか? 上記のような主張は一見聞こえがよいので何となく納得してしまいそうですが、念のため確かめておきましょう。

ただ、本書では「事実の蓄積→結論」という本来の機能的推論で行うべきことのうち、「事実の蓄積」に関する情報がまったくと言って欠如しているので、その妥当性を云々することができない、という致命的な欠陥があります。そこで、別の観点から、「本当に帰納的推論にはバイアスがかからないのか」という点をチェックしていきましょう。

帰納的というからには、当然事実を蓄積する必要があります。ここで必要なのは「日本の優秀企業」ですから、こうした企業に関する事実を集めなければなりません。となると、まず決めておかなければならないのが「日本の優秀企業に当てはまるのはどこか?」です。本書では、次のように定義しています。

過去15年間の
総資本経常利益率
自己資本比率
・経常利益額の推移
としています。ここから特別な環境要因を考慮しても出る企業を選出となっています。

ここでまず疑問なのは、こうした指標がどうだったら「優秀企業」に該当するのか、明確な記述がないことです。記述から類推できることは「日本企業全体の平均」(総資本経常利益率自己資本比率)、「増加」(経常利益額)なのでしょう。しかし、これが本当に「優秀企業」と言っていいのか、単に平均より優れた企業なのではないか、という気もしないでもないですが、まあこの辺りでおいておきましょう。

次に注目すべきなのは、「過去15年」という縛りです。「持続的な成長」と言ってしまえば聞こえはいいですが、これは暗黙のうちに、「ある程度伝統のない企業はお呼びでない」と言っているようなものです。

そしてもう一つ注目したいのは、「特別な環境要因を考慮」という点です。どの程度のものを特殊と捉えるのかが明記されていないため(金融は規制に守られたという特殊要因を述べていますが、どの程度の規制を特殊要因と捉えるのでしょう?)、ある意味環境要因という名目でモデル企業を除外するかどうかは、筆者の腕一つにかかっているわけです。

ここまでで指摘したいことは、裏づけとなる事実の抽出の仕方の「恣意性」です。推論に至る前にすでに恣意的なデータを集めて「バイアスがかからない」というのは、かなり無理があります。

そして、こうした問題は、帰納的推論ではいつでも起こりうることです(というより、恣意が入らないのが奇跡的)。となると、機能的推論は「裏づけとなる事実の入手次第ではどんな結論も導き出せる推論形態」と言うことができます。これだったら、自分なりの仮説があって、それを裏付けで検証していくスタイル(つまり演繹的)の方が、妥当性の確認がしやすい分、推論としては好ましいとすら感じます。

少なくとも「帰納的=客観的」というのは幻想にすぎない、ということです。

日本の優秀企業研究―企業経営の原点 6つの条件 (日経ビジネス人文庫)

日本の優秀企業研究―企業経営の原点 6つの条件 (日経ビジネス人文庫)