「妥当な推論」と「妥当な主張」

昨日の続きです。

昨日のエントリーで書いた

この指摘には、少し疑問を感じます。もちろん、三段論法の形式だけにのっとれば、妥当でない結論も導けてしまうのは事実として残りますが、それは使っている言葉の意味上の問題であって、決して推論形態としての問題ではないのです。それを、「三段論法の危険性」と言われても困るなあ、というのが個人的な感想です。

という箇所について。「論理思考の限界」とか言う論調には、「論理的な推論=妥当な主張」という思い込みがあるような気がしてなりません。論理的な推論によって、妥当な推論はできますが、必ずしもそれが妥当な主張になるわけではありません(もちろん、妥当でない推論からは妥当な主張はでてきません)。

妥当な推論によって導かれるのは、あくまでも、主張や根拠の関係性が妥当であることであって、主張や根拠の意味内容自体が妥当であることは少しも保証していないのです。

従い、推論の形態が妥当だとわかったら、次にやるべきは、個々の根拠や理由付け(論拠)を取り出して、それが言っていることが妥当なのかをチェックすることです。例えば、

「ライバルX社がA事業に参入したから、当社もA事業に参入しよう」

という主張があったとします。これを三段論法的に分解すると、

主張:当社はA事業に参入すべき
根拠:ライバルX社がA事業に参入した
理由付け:ライバルX社が参入した事業に当社も参入すべき

となって、推論形態自体は妥当だということがわかります。次にやるべきは、「ライバルX社が参入した事業に当社も参入すべき」という理由付けと、「ライバルX社がA事業に参入した」という根拠が妥当かのチェックです。まあ、根拠の方は事実でしょうから(これがウソだったら結構大変な主張ですね)、理由付けが妥当かをチェックすることになります。

この理由付けの是非は置いておいて、このような形で主張の妥当性をチェックしていくのであり、推論形態に落とし込めるからその主張は妥当かを判断するわけではないのです。

要は、「三段論法的に間違った主張ではない」「帰納的に導き出せる」というのは、主張が適切なものかをチェックする第一歩であって、ゴールではないということです。

でも、結構妥当な推論形態になった時点で「終わった!」と思う人が多いようです。

発想のための論理思考術 (NHKブックス)

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