梅棹忠夫氏逝去

今日の夕刊で、梅棹忠夫氏が7/3に逝去されたことを知った。

梅棹氏の著作で触れたのは、例の「知的生産の技術」だけだったが、これがあまりにもインパクトが大きかった。

「知的生産の技術」の存在を教えてもらったのは大学生の頃。何かの講義で教官に「これくらいは読んでおかないと・・・」的に言われ、大学生協で購入した。今でもその時に購入したものが手元にある。

以来何度読んだことだろうか? 自分の知的生産(と呼べるのであれば)の原点は本書にある。と言っても、本書に書かれた方法論を使いこなしてきたわけではない。いや逆にほとんど本書で紹介された方法論は使いこなせなかった。例のカードシステムも、卒論のときにその真似事をしてみたが、役に立ったとはお世辞にも言えない。と言いつつ、今年に入ってから本格的にカードシステムを活用することにしたりして、温故知新の世界を感じたりする。

話はそれたが、では「知的生産の技術」から何を学んだかというと、「知的生産」のたたずまいだろう。その後、取り付かれたように知的生産・情報整理系の書籍を読んだが、振り返ってみるとそれらの書籍に具体的な方法論を求めていたわけではないことに気づく。それ以上に、著者たちの知的生産にかける気概を読みたかったのだ。

この扉を開いてくださったのが、梅棹氏だった。

もちろん、梅棹氏の考え方に完全に傾倒していたわけではない。逆に、「ローマ字でのコミュニケーションを!」という提言にはひどく違和感を覚えた(今も覚える)ものだ。でも、そんな細かいことはどうでもいいのだ。わずか一冊の本だけでこれだけいろいろと教え、考えさせてくれたのだから。改めて、その影響力に驚くのだ。


以上、駄文失礼しました。
ご冥福をお祈りします。