論理関係と意味関係

前エントリーで見たように、論理的思考とは「言葉(文)の論理関係と意味関係を適切に結びつけながら主張を導き出す(確認する)思考」と捉えることができる。では、これら二つの関係をどのような順序で使っていくことが求められるのだろうか。

ここで押さえておかなければならないのが、二つの関係の妥当性の度合いである。論理関係は、世間一般的な常識から考えれば常に妥当な関係が成立する世界である。一方で意味関係は、人によって妥当性の捉え方が相当異なることが想定される。言葉レベルの理解の仕方、ある対象と自分との立ち位置等によって、同じ対象や事実を目の前にしても、そのもつ意味が相当変わってくる。そうすると、意味関係の捉え方自体に大きな違いが出てくる。

となると、最低条件として押さえておくべきなのは論理関係である。論理関係を押さえた上で意味関係の蓋然性を高めていくことが必要になるだろう。つまり、まずは論理関係が妥当かどうかを押さえ、その上で意味関係の納得性があるかを確認していくという手順になる。応用編としては、ある主張に反論するときには、まず論理関係が成立するような形で固定し(必要条件を成立させ)、その論理関係においては意味関係が結びつかないことを主張する、というやり方がある。

ここは結構重要なポイントだと考えているが、なかなかうまくできないケースが多い。その一番の理由に、まず意味関係に飛びついてしまうということがあげられる。意味関係はある意味人によって是非の異なる世界なので、ほうっておくと無法地帯になりやすい。

その意味から考えると、「論理トレーニング」については「接続」という意味関係主体の箇所から入っている点に、個人的には違和感を覚える。特に例題の解説部分はある意味読み方一つで出てくる回答は変わるだろうから、読み進める場合には納得できないままスルーするか、無理やり自分に納得させるかという、ある意味不自然なことを強要させることになる(かくいう私も納得のできない解説が複数個所見られた。それについては機会があれば)。それよりかは、正誤の判断がつきやすい論理関係から入ったほうが、消化不良感は減るのではないか。

では、論理関係とはどのようなものか、という入り込むととんでもない世界の話の入り口に来てしまったが、次のエントリーでそのさわりと考えるポイントだけ触れてみたい。