論理関係の活用

そろそろ「論理トレーニング」を題材にしてきた、論理思考ネタもおわりにしたい。最後に、論理関係と意味関係という観点から、「論理トレーニング」について一点見ておきたい。

論理思考は論理関係と意味関係を活用しながら言葉の関係を押さえつつ主張をしていくこと、としてきた。その際、誤解してはならないのが、論理関係と意味関係は常にどんな主張展開にでも存在する、ということだ。つまり、論理関係と意味関係のどちらかしかない、という主張はありえないということだ。

意味関係についてはあまり違和感を感じないだろう。論理的な整合性がとれていても、意味のつながらないものは現実的に受け入れられない。一方論理関係というのも、三段論法として丁寧に表現すれば、どの主張でも成立してしかるべきものである(もちろん根拠がない思いつきの場合は成立させられないが)。

多くの場合、大前提が省略されているので三段論法で考えていないように見えるが、単に省略されているだけだ。例えば、「あの店はおいしかったから、今日も行ってみるか」という主張には、大前提が含まれていない。しかし、それは単に省略されているだけで、この主張をまっとうな形で成立させようとするなら、「以前行っておいしかった店に行くべきだ」という大前提が入っていないと、論理関係上は妥当な展開でなくなる。ただ、こんなことを言うのはまどろっこしいだけだから説明しないだけだ。

そう考えると、「論理トレーニング」のp88〜89のあたりは、野矢氏が混乱しているのではないか、とも思えるような内容となっている。ここは重要なところなので、例をあげてみよう。まず、p88の例1で

1安全性が高いから、2この車はよい


という展開を、
1→2
であるとしている。

次にp89の例3では、

1家族でのんびり乗ることが多いから、2車は安全性が高いほうが望ましい。3この車は安全性が高い。だから、4この車はよい。


という展開を
1

2+3
 ↓
 4

として、例1と例3は別の論証の構造としている。しかし、これはまったく同じ論証の構造である。例1と例3をもう一度見比べてみよう。そうすると、例1の1と例3の3、例1の2と例3の4はまったく同じ内容である。例1の2(例3の4)が結論であり、例1の1(例3の3)がその根拠であるとすると、両者はまったく同じ根拠で同じ結論を導いていることになる。同じものを同じ位置づけで活用して論理展開しようとするなら、違ったやり方は無理である。となると、例1と例3の違いは何かといえば、単に例1に「車は安全性が高いものがよい」という大前提(例3の2と同じもの)が省略されているだけ、と見るのが妥当だろう。そうでなければ、例1の論理展開は論理関係上成立しないことになる。

例1と例3をなぜ異なるものと見たのか。それは単に例3の2が表現されているかどうかだけだろう。例1でも結論を導いた真意をしつこく問い続けば、例3の2に見られる大前提を表に出すことは可能なはずである。ここは、無理に論証構造のパターンを増やすよりも、三段論法という単純な図式で論証構造を一本化し、その上でパターン化できる場合はパターン化した方がよかったのではないか。

なお、例3の1はほっぽりっぱなしになっているが、これこそまさに意味関係上結論を成立させるためのものである。ここは人によっていろいろなものが入ってもある意味結論は成立するが、その妥当性は入る内容と聞いた人の納得度によるものになる。

ここまでで見てきたことからいえるのは、どんな主張でも三段論法に落とし込む(分解する)ことは可能である、ということである。さらに、ここでは触れないが、論理関係を整理する(三段論法に分解する)ことによって意味関係の妥当性をチェックするのが容易になる、ということもいえるだろう。