「前提」とは

そろそろ「論理トレーニング」から離れて、別の本を題材に考えてみたい。

論理のスキルアップ―実践クリティカル・リーズニング入門

論理のスキルアップ―実践クリティカル・リーズニング入門

いわゆるGMATやLSAT等、米国大学院進学適正試験に出てくるCritical Reasoningの考え方について触れられた、日本で唯一の本であろう。

実は自分も前職でこの種の問題の研究をしたり、実際に作ってみたりした。その感想は、非常に曖昧模糊とした分野で、なかなか全体像を捉えるのが難しい、というものだった。同じような問いかけの問題でも、正答に至るプロセスは問題によって違ったりするものが多く、同じ考え方ですべての問題を回答できるかといえば、なかなかYesといえない印象を受けた。

その曖昧模糊さの主要因となっていたのが、本書でも触れられているAssumption(本書では「仮定」と訳出されているが、本ブログでは「前提」と表現しておく)の扱いだ。

前提については、私たちも日常生活でかなり幅広い意味合いで活用している。「あなたの話の前提は・・・」と同じ言い方で始まったとしても、場面によって異なる意味で「前提」を使っていることが多い。悪いことに、「前提」という言葉はある意味水戸黄門の印籠みたいなもので、その言葉を口にしたものが話の主導権をつかむ(言われた側は主導権を握られる)ことが多く、言った者勝ちワード(これはいつかまとめてみたい)となって誰もその意味を検証せずに使っている印象を受ける。

ただ、本書を読むと、本来「前提」とはこのような意味で活用するのだろう、という点が見えてきた。もちろん、本書で示された整理のしかたとは違うが。その整理の仕方については、次のエントリー以降でまとめてみたい。