わざ習得の過程

これまで「学ぶ対象としてのわざの特徴」と「わざを習得させるための手段としてのわざ言語」についてみてきた。では、わざとはどのように習得していくのか。その取っ掛かりとなりそうなものが、「世阿弥の稽古哲学」に散見される。

この本では、「用心」と「身体操作」という点で同じことを言っている。
0.最初は「用心」や「身体操作」について気にもしていない
1.意識的に用心し、身体操作を行う
2.用心を捨て、作為的な意識から離れていく

つまり、最初は窮屈でも細かい動きに意識を向けていく。そうすると、細かい動きができるようになる。しかし、意識的に細かい動きをするのではなく、その意識を捨てることで最高の芸風に至る、ということだ。

言われてみれば、こうした「わざの進化」は、私たちの日常のいたるところで体験している。つまり、わざを習得するために特別必要なわけではない。ここで知りたいのは、いつ1から2の段階に移るべきなのか、そして、2の段階を自然に行うためのコツはないか、ということだ。

こうした点については、なかなかまとまった記述にお目にかかることはない。まあ、こんなコツが分かってしまったら、何の苦労もいらないということなのだろう。もちろん、世阿弥のことだから、こっそりとこうしたコツについて書いているのかもしれない。こうした視点で世阿弥の伝書を読んでみても面白いかもしれない。


世阿弥の稽古哲学

世阿弥の稽古哲学