わざ言語徹底解読(6) 看護の世界における「わざ言語」


第5章と第6章の2章は、看護の場面に焦点をあててわざ言語の特徴やわざの伝達についてまとめられている。まずはこの2章の構成を見てみよう。

第5章 「わざ」言語が促す看護実践の感覚的世界
1.看護における「わざ」
2.看護の「わざ」に見る相互主観的世界と<私離れ>
3.「わざ言語」に導かれる看護実践
4.看護学生に留まる「うずく傷」
5.看護の「わざ」を教える・学ぶ
6.非言語的な「わざ言語」

第6章 看護領域における「わざ言語」が機能する「感覚の共有」の実際
1.「わざ言語」に導かれる「感覚の共有」
2.価値を共有する学び
3.仲間と学び合う
4.異質の共同体との出会いにおける看護の再発見

この2章の目次をみると、「感覚」「他者との共有」というところがキー・ワードになるように感じる。もちろん他の章でもこれらの言葉は出てきたが、この2章ほど前面に出てきたことはないと感じる。これは完全な私見だが、その理由はわざ習得における「看護」という領域の特殊性によると感じる。他の「わざ」習得は、ある意味「エキスパート」になるために必要なわざの習得であった。しかし、看護の世界はエキスパートではなく看護学生が一人前の看護士になるために習得するわざが対象になっている。そうなると、言語を使用する部分というより、感覚を共有する、他の人との交流からわざを学ぶ、という部分が大きくなるのではないか。
もちろん、本書でも触れているとおり、看護は「人間が人間に対して働きかける」という特性があり、それも「感覚」「他者との共有」という部分に引き付けられていることはあるだろう。ただ個人的にはそうした部分以上に、わざ伝達の特性に大きな特徴があるように思えるのだ。

その意味で、特に第6章で強調されるのが、「仲間との学び」「現場への参加」などの点である。このあたりは、エキスパートに求められるレベルではない。まず、看護士として一人前になるための初歩と言えば初歩である。
同時に、この2章でわざ言語として指摘されているのが、次の3つである。
 ・比喩的な表現
 ・例示
 ・提示
特に第3章あたりでは突っ込んで考察されていた部分が、結構シンプルにまとめられている。これは、こうしたわざ言語の特徴以上に、それをどうやって活用していくか、という点に焦点があてられているからだろう。
そして、最後には「非言語的なわざ言語」という、わかったようなわからないような表現まで出てくるが、少なくとも本書の文脈ではあまり使わない方がよいような気がする(わざ伝達を非言語的に行うのが難しいから言語を使っていて、それが「わざ言語」だから)。