「実践知」は実践知に迫れたのか?

実践知 -- エキスパートの知性

実践知 -- エキスパートの知性

実践知を読了した。
内容としては、いわゆる学校や研修などで教えられる「学校知」とは異なる、より実践的なものを「実践知」と捉え、様々な職種(といったらいいのか?)でどんな実践知が必要で、どのようにして習得していくのかを解説したものだ。


ここで取り上げられている職種は、
・営業
・管理職
IT技術
・教師
・看護士
・デザイナー
・芸舞妓
・芸術家
の8つで、それぞれ別の人(ほとんど全員研究者)が執筆している。そして、前後は編者である楠見、金井両氏というこの分野の御大による概論解説となっている。


正直なところ、本書の価値は概論解説にはなく(失礼)、個別の職種での実践知に関する考察にあろう。正直なところ、金井先生の部分は熟達化過程での実践知獲得とリーダーシップを無理やり結び付けようとしているがために、話を混乱させるだけな気がしてならない。


個々の職種に関する熟達化の考察については、執筆者の違いもあるのだろうが、示唆深いものもあればそうでもないものもある。個人的に示唆深かったのは「教師」と「看護士」の二つ。この二つに関しては結構実践知に迫れているような気がする。あと、芸舞妓はその存在自体が新鮮だった。他はそれぞれの職種で求められるスキルに関する一般論で終わってしまっているような気がする。


その理由を考えてみると、教師や看護士と他とを大きく分けるポイントとして、「教育」の有無があることに気づく。教師も看護士もその職種に就くための専門の教育を相応のボリューム受け(しかもそれらは均質化された教育過程に基づく)、試験に合格する必要がある。つまり、全員が均質化された学校知を一定水準有していることになる。となると、「学校で教わっている部分だけでは足りないところ」がいわゆる「実践知」ということになる。


一方、残りの職種はどうだろうか? そんな専門的な教育すらない(営業や管理職)職種もあれば、あったとしても均質化されていない(IT技術者、デザイナー、芸術家)ものである。つまり、その職種全員のベースとなる学校知水準が著しく低いもしくは異なるのだ。ということは、その職種に就いた段階から学び始める状態だと言ってよいだろう。結果として、管理職で見られるような一般論的なものを実践知としてしまったり、デザイナーでのように人間関係に偏った考察になったりしてしまうのだろう。つまり、これらの職種は、学校知と実践知を対比させながら実践知とは何かを考えようとすること自体無理があるのだ。


残る芸舞妓は、その中間にあるように感じる。芸舞妓を志望すると、しっかりとした教育を受けることになっているが、それは同時に新入りだけが受けるものでもない。こうしたある意味柔軟な学校知を提供している分、実践知との違いが見えにくくなっているのだろう。



■実践知を解明していくために
個人的にはこうした「実践に近い場面でなければ身につかない能力」には興味をもっていて、是非解明してもらいたいと思っている。本書に関しては、なんか中途半端な終わり方をしてしまったような気がする。それは特に以下の二点に関する注意が欠けているからだと思う。

1.学校知をしっかり把握することが第一歩
このように見ていくと、実践知をクリアにするには、その前に学校知として提供されているものは何かをはっきりさせなければならないことに気づく。つまり、ある職種のエキスパートとなるにはどのような学校知が求められて、それだけでは足りないからどのような実践知が必要なのか、というアプローチをしないと、何でも実践知になってしまう恐れがある。本書の底流にある「エキスパートになるためには学校知だけでは不十分」という主張に反対するつもりはまったくないが、同時に「エキスパートになるには実践知だけでも不十分」という点にも留意しなければ、実践知を解明したことにはならない。

その意味では、学校知が明確になっている教師や看護師が実践知に迫れたように感じたのはわかるような気がする。そうなら、思い切ってまずは学校知が明確な弁護士や会計士などの熟達化を見てみるのも一考かもしれない。


2.職種だけでなく、環境の違いも考慮する必要
それから、本書での研究のアプローチが特定の対象者へのインタビューによるものなので、その点にも違和感を覚えた。福島真人氏が指摘するように、熟達化で重要になるのは、職種の差と同時に、どれだけ他の人からサポートが受けられる環境か、という点も大きいと思う。例えば、看護士についても普通の病院の看護師と救命救急センターの看護士とでは、熟達化の仕方やそこで求められる資質等は違ってくるはずである。その部分を特定の病院の看護師の話だけで一般化してしまうのは、結構大きな見落としなのではないか。

同じ職種内での比較は、営業で自動車販売と不動産販売との比較という形で行っている。こうした比較はどんどんやった方がいいと思う。個人的には何で個人を対象とした高額商品の営業という似通ったものの比較を行っているのかは理解に苦しむが(どうせならB2Bとの比較をすれば熟達化過程や実践を通じてどんな知が得られるかの違いがクリアになるような気がするが)、こうした比較が学校知の解明にもつながるような気がする。