「わざ言語」徹底解読(2)第一章 「わざ」の伝承は何を目指すのか

この章の著者は生田久美子氏。生田氏は、1987年に「わざから知る」という書籍を書かれている。この「わざから知る」は、後から出版される関連書籍に非常に多く参考文献として掲載される、いわば「わざ」分野の基本的一冊と言えるようなものだ。

従って、この章を本書全体のイントロダクションと捉えることもできるだろうが、それ以上に前著「わざから知る」から何がどう変化したか、という点に興味がいく。もちろん本書では生田氏は執筆者の一人なので書き足りないこともあるだろうが、20年以上前との違いはあるはずだ。まず、本書第一章の構成を見てみよう。

1.「わざ」とは何か
2.「傾向性」としての「わざ」
3.「わざ」のTaskとAchievementとは何か
4.様々な世界での「わざ」の伝承が目指すもの
5.もう一つの「学び」−感覚の共有を通しての「学び」へ

まあこれだけ見ても何がどう変わったか見えてこないので、「わざから知る」の章立てをあげてみる。

第一章:「わざ」の習得
第二章:「形」より入りて、「形」より出る
第三章:間をとる
第四章:「わざ」世界への潜入
第五章:「わざ」言語の役割


本文に立ち入らなくても、ある程度両者の違いは見て取れる。「わざから知る」は、どちらかといえばわざの「目に見えた特徴」からのアプローチであるのに対して、「わざ言語」は、「わざ」固有の特徴/目的をはっきりさせた上でのアプローチである、という点が、違いとして大きい。

もう少し詳しく説明しよう。

「わざから知る」では、「形」「間」「わざ伝承の場」という、ある意味「わざ」が伝承される際に特徴として目につくものが、そのまま章のタイトルになっている。これは、(おそらく)生田氏がわざ伝承の場面を観察して、そこで特徴として現れたものにどんな意味があるのかということを突き詰めようとしていることを意味するだろう。

これはこれで一つのアプローチだと思うが、そうするとどうしても観察している場面での「わざ」の伝承に視点が偏る。ここでは日本の伝統芸能に視点がよっている。だから、「間」という伝統芸能に特徴的なものが一つの章として現れているのだろう(わざ伝承の研究をする際に「間」を対象とする必要はない、という意味ではもちろんない)。


一方、「わざ言語」では、「わざ」をもう少し広範にとってその特徴を明確にしている。それは何かと言えば、ハワード等が提唱した次の二点であろう。
1.傾向性としてのわざ
 わざが発揮されたというのは、単発ではありえない。「この人はわざが発揮できていますね」と言えるような「傾向」が見えなければならない。そのためには、特定の状況だけでなく、幅広い状況でわざを発揮することが求められる。
2.TaskでなくAchievement
 「わざ」をタスク(活動)の連続体として捉え、それをクリアしたかどうかとは捉えない。結果としてどのような状態となったのか、つまりAchievementを主眼として捉える必要がある。これは特にわざの伝承、つまりわざ言語で効いてくる。わざ言語の一つの重要な要件は、「Taskで表現するのではなく、Achievementで表現する」ということになる。「わざから知る」でも主張しているように、「諸要素に分解不可能な、身体感覚を超えた『状態感覚』」(22ページ)の言語化がわざ言語なのだろう。


とここまで来て、残念ながら第一章は終わる。その後は別の著者が前述したようにいろいろな観点から「わざ言語」「わざの伝承」について語っている。まあ、この首長に沿っているものもあればそうでないものもあるが、それは各著者の研究範囲や主張もあるだろうから仕方ない。生田氏自身がわざ言語を今どのように捉えているのかは、別の機会を楽しみにしたい。


わざ言語:感覚の共有を通しての「学び」へ

わざ言語:感覚の共有を通しての「学び」へ


「わざ」から知る (コレクション認知科学)

「わざ」から知る (コレクション認知科学)

「わざ言語」徹底解読(1)

わざ言語:感覚の共有を通しての「学び」へ

わざ言語:感覚の共有を通しての「学び」へ


表題の書籍を読み終えて数か月経つ。何とかまとめようと思っていたが、結構なボリュームになるわ、なかなか進まないわで、春に読み終えて夏にエントリというちょっと間延びしてしまった。これから何回になるかわからないが、本書の内容についてじっくり振り返ってみたい。

第一弾は、わざ言語全体の構成について。


 「わざ言語」は、第一部で理論、第二部で第一人者へのインタビューという構成になっている。それぞれの章立てを見ていこう。便宜上、まずは第二部の構成及び語り手を見てみよう。

第一章:「歌舞伎」の「わざ」の継承と学び  中村時蔵(歌舞伎役者)
第二章:しむける言葉・入り込む言葉・誘い出す言葉  佐藤三昭(和太鼓奏者)
第三章:感覚との対話を通した「わざ」の習得  朝原宣治(陸上選手・コーチ)
第四章:スピードスケート指導者が選手とつくりあがる「わざ」世界  結城匡啓(スピードスケート選手・コーチ)
第五章:「生命誕生の場」における感覚の共有  村上明美(母性看護学助産学)

語り手の専門領域をざっくりとわけると、「伝統芸能」「スポーツ」「看護」ということになるだろうか。確かに「わざ」の継承が求められる領域ばかりだ。彼らが、どのようにわざを言語化するのか、わざを言語として伝えるにはどのような条件が必要になっているのかを知るのは、非常に興味深い。また、これら3領域でのわざ伝達の共通点や相違点などがあれば、それも是非知りたいところだ。

と同時に感じるのが、対象として特殊なところに入り込んでいるようなきらいもある。特に伝統芸能とスポーツは
・少人数の伝達
・高いレベルのわざの伝達
という特徴がある。だからこそ効いてくるわざ伝達の手法もあるだろう。わざ言語の活用もそうだ。ビジネスに活かすには、前述した特徴とは逆の
・幅広い対象者への伝達
・最低限のわざの伝達
というところでのポイントも知りたいところだ。そういう意味では「状況に埋め込まれた学習」のような多様性(産婆、仕立屋、総舵手、肉屋、断酒中のアル中患者)もあるとなおよかった。これは次回作(あるのかな)に期待というところか。


一方、第一部の構成は次のようなものだ。

第一章:「わざ」の伝承は何を目指すのか
第二章:熟達化の視点から捉える「わざ言語」の作用
第三章:スポーツ領域における暗黙知習得過程に対する「わざ言語」
第四章:「文字知」と「わざ言語」
第五章:「わざ言語」が促す看護実践の感覚的世界
第六章:看護領域における「わざ言語」が機能する「感覚の共有」の実際
第七章:人が「わざキン」に感染するとき


この構成を見て気付くのが、「伝統芸能に絞って解説する章がない!」ということだ。これはどういうことだろう。もしかしたら、筆者たちの「わざ」の出発点が伝統芸能なのかもしれない。もしそうだとしたら、結構あやうい想定のような気がする。確かに伝統芸能のわざ習得過程に学ぶべきところが多いのは事実だが、それを規範的にしてしまうと他への応用がぐっと狭まるからだ。前述のとおり、「わざ」伝達の場面は多岐にわたるのだから、少なくとも本書でも「伝統芸能」「スポーツ」「看護」を並列にみなすことが望ましい。

こうした「わざ言語」活用領域とは違う観点から見てみよう。活用領域とは違うキーワードと、そこから想定されるテーマを挙げてみると、次のようになる(第一章は総論的な位置づけなので割愛)。

  • 第二章:熟達化→「わざを修得する側」から見たわざ言語の効用
  • 第四章:文字知→「文字」というツールがもつ意味や限界
  • 第六章:感覚の共有→わざ言語と共存する感覚のもつ意味
  • 第七章:「わざキン」への感染→わざが広がるための条件

興味深いことに、「わざを伝達する立場」というテーマからのアプローチに絞った章がない。また、わざ習得の際に必ずといって言及される「コンテキスト」というテーマからのアプローチの章もない。このあたりは、いずれの章でも内包されるからなのだろうが、少なくともコンテキストあたりはそれに絞った記述があるとさらに興味深い。

と、目次だけで長々と書いたが、このあたりから本文についてみていくことにしたい。ここからは各章を順に見ていくことにする。

デザイン思考

デザイン思考とタイトルのついた本を、ほぼ同じ時期に三冊ほど読んだ。まあ、屋号にデザインとついているので、少しは勉強しないと・・・。

「デザイン思考が世界を変える」
「デザイン思考の仕事術」
「ビジネスのためのデザイン思考」

「デザイン」という言葉からは、いわゆる「見た目のよさ」や「センスのよいデザイナー」など、独自の感覚で外見を磨き上げるというイメージが浮かぶ。そのデザインに、見かけやら独自の感覚やらとはかけ離れた「思考」という言葉がくっつくのに違和感を覚える人もいるかもしれない。

この三冊から、デザイン思考というものは大きく二つの原則に基づくものだということが見えてきた。一つは、デザイン思考とは、顕在化していないニーズを掘り出すことであり、もう一つは、対象単体ではなく、他との関係性を考慮しながら成果物を考えていく、ということだ。それぞれについて、もう少し丁寧に見ていきたい。


1.デザイン思考は見えないニーズを掘り出すこと
三冊とも、デザイン思考の定義は、「目に見えて悪いと思われるポイントの解消ではなく、利用者が半ば当然と思っているニーズや、不満として顕在化していないが改善すれば効果のあるものに沿った製品・サービスを作り出すための思考法」というものだ。長いね。短くすれば「利用者の隠れたニーズを満たすようなものを作るための思考法」となるかな。

この定義を満たすような製品やサービスが生み出されれば、自然と斬新な製品になったり、見た目にも「おっ」と思われるようなものになるのだろう。ということで、デザインは見た目が主ではない。よいデザインを実現した結果として、見た目もよくなる、というのが正確なところだ。


2.デザインするのは「関係性」
もう一点デザイン思考を定義する上で重要になるのは、その扱う範囲だ。多くの場合デザインと言えば製品レベル、つまり形あるものにとどまることが多い。しかし、ここであげたデザイン思考では、一歩踏み込んで無形のサービスまで対象となる。よく引き合いに出されるのが、バンク・オブ・アメリカの「キープ・ザ・チェンジ」だ(デビットカードの支払額のうち、ドル以下は別の口座に貯金されるというもの)。

この例を見てもわかるように、デザイン思考では単に製品やサービスをデザインすればよいというわけではない。利用者がどのように製品やサービスを利用するのかという観点でのデザインが必要になってくる。そこで脚光を浴びるのが「関係性」だ。

この「関係性」という言葉は結構曲者で、どこまでの関係性と捉えればよいか、という話は残る。製品・サービスと利用者との関係性か、利用者がその製品・サービスを使う状況での、その状況と製品・サービスとの関係性か、はたまた利用者が一連の行動をとる際に利用する他の製品・サービスとの関係性か。このあたりは当然煮詰まっていないし、煮詰める必要もないのだろう。あまり巨視的に捉えてしまうとデザインも漠然としたものになるし、あまり視野が狭いと提供する製品やサービスにとっての最適性を追求してしまうことになる。

いずれにせよ、製品やサービス単体でデザインを考えない、もう少し他にも目を配ることが重要になってきているのだろう。


上記三冊には、単語としては普段はあまりお目にかからない魅力的(難解?)なものが出てくる。エスノグラフィー、プロトタイプ、水平思考、アブダクションなどなど。これらは、三冊に共通していたり、少なくとも二冊にのっていたものをあげてみた。もちろん、個々の書籍には、もっといろいろな単語が出てくる。だが、決してそれらの単語(ツール?)が重要なわけではない。この三冊に出てくる手法は、上記二つの原則を実行するための手段にすぎない。上記二つの原則にのっとってさえいれば、別の手法を使ってもデザイン思考をしているといってよいだろう。


デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方 (ハヤカワ新書juice)

デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方 (ハヤカワ新書juice)

ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術

ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術

ビジネスのためのデザイン思考

ビジネスのためのデザイン思考

地方議員の正しい?選び方

明日は区議会議員投票日。候補者80名の中から一人を選ぶ。必ずしも知名度の高くない候補者の中から、自分の支持する人材を見つけるのは容易ではない。正直、前回は名前が覚えられず、結局その場でなんとなく決めてしまった記憶がある。


それではまずい、と今回は選挙公報を見て、候補者を選ぶことにした。とはいえ、80名の公約やら人となりとやらを見ていたら、誰が適切かわからなくなってしまう。そこで、次のような基準をもって選んでいくことにした。


1.所属政党
特にどの党を支持しているというのはない。特に地方議会だから政党ありきではなく、候補者ありきで考えるのが本筋であることは理解している。だが、信条的に支持できない政党がある、というのは厳然とした事実でもある。イデオロギー的にあわないとか、政策的に同意できないものを掲げる政党を支持することはできない。


2.年齢
年齢は政治活動にあまり関係がないとは考えている一方で、3の公約であげる理由から、今後はできるだけ若い方に国や地域の方向性を決めていただくのがもっともよいと考えている。そうした理由から、少なくとも自分より年上の方の投票は辞退させていただくことにした。


3.公約
選挙公報の公約を見ても、どの候補者も似たようなことしか書いていない。例をあげれば、最近ネタの「防災」からはじまって、「子育て」「介護・福祉」については、誰もが何かしら触れているし、これらを網羅している候補者も多い。

これらすべて大事だと思うが、無い袖はふれないという事実に対してどうするか、ということを考えれば、優先順位をつけるのが政治家の義務だと思う。そこは是非お願いしたいところだ。とは言っても、誰も優先順位をつけてくれないので、そこは自分なりに判断するしかない。

私の今の優先順位としてもっとも高いのは、ずばり「教育」だ。子育て環境の整備ではなく、将来の人材にどのような教育をするのかを優先的に考えている方を支持したい。

世代間というくくりで考えてみると、現在の老年・壮年・一部若年層のいわゆる現役世代は、これから大人になっていく世代に対して多大な負担を背負わせてしまっていると考えている。社会保障の負担や財政面のリスクの負担に加え、原発問題でその処理の負担や限られたエネルギーでの生活を強いるという負担である。これは政府とか東電の責任ではなく、現役世代全員の責任だ。これら背負わせてしまった責任に対して私たちができることは、せいぜい将来世代が自身で的確な判断ができるような力をもつこと、そして彼らの判断を邪魔しないようなサポートをすることくらいしかできないと私は考えている。

その意味で、「教育」という分野に重点を置くことは私たちの責任の取り方の一つであり、ここの関心の向いている政治家を私は支持したい。もちろん、その一環としての子育ても重要だとは思うが、決して現役世代の都合での子育て環境の改善ではなく、将来世代を育むための子育てという視点が欲しい。一方、個人的には介護とか福祉の優先順位は高くない。将来の生活に不自由が生じても、それを甘受するしかない。それは私たちのまいた種なのだし、このままいけばもっとひどい状況を将来世代に強いることになるのだから。



ここまでで、だいたい候補者は絞られてくると思うが、それでも絞られていなければ、当選回数(相対的に知名度の低い初当選を目指す方を支持したい)くらいで、あとは自分の人を見る力を信じることにしたい。


という形で選挙公報を見ていたら、ひとりだけ該当する候補者を見つけることができた。明日は自信をもってその候補者に投票したい。

Live in Marciac/Brad Mehldau


Live in Marciac

Live in Marciac

今もっとも旬なジャズ・ピアニストと言えば、ブラッド・メルドーだ(と断言)。最近は、完全に彼の世界観にはまっている。そんなメルドーの最新作が先月発売された。

商品として不思議な構成だ。DVD一枚とCD二枚。どちらも同じ曲が収録されている。いったいDVDなのかCDなのか。まあ、そんな区分けをすることは無意味なんだろう。

作品としては、ソロ・ピアノでのライブ。メルドー本人の作品もあるが、BeatlesRadioheadなど、ポピュラー系の作品もある。それにしても、Martha My Dearなんてマイナーな曲を何度も取り上げるとは、何とも不思議な人だ。

メルドーはジャズのカテゴリーに入るが、ジャズを聴く人がこの人の作品から入るのはやめたほうがいいだろう。正直、彼の世界観についていくかどうかの話だと感じる。そういう意味では、キース・ジャレットにも通じる部分はあるが、キースのピアノともまた違う。まったく畑違いながら通じる部分がありそうなものとしては、初期(ピーター・ガブリエル在籍時)のジェネシスかな、と思う(この比喩も理解されないかも)。とにかく、耳障りのよい音楽を期待する向きにはあまり勧められないのは確かだ。

でも、私個人としては、大変すばらしい作品だと思っている。5月にキース・ジャレットのライブに行く予定だが(キースが来日してくれれば)、この作品のおかげでその予習として彼のソロ・ライブを聞く時間が減ってしまうのを心配している。

ストーリーとしての競争戦略 徹底解読(終)


【おわりに:ストーリーの5つのCの全体像】
最後に、本書で述べられている戦略ストーリーの5つのCはどのような関係にあるのか、を考察してみたい。

実は、本書を読んでも、戦略ストーリーの5つのCそれぞれについて解説はあるものの、それがどのように関連しているのかについては説明がない。唯一それらしきものとして、271ページの図が該当しそうである。しかし、この図ではConceptとConsistencyとComponentsの3つのCしか該当するものがない。そもそも、この図はConceptがどのように有益なのかについて説明するものだ。

そこで、勝手ながら5つのCがどのように関連するのかの図を作ってみた。なお、Conceptについては、前述した「競争優位性創出につながる方向性」という意味合いで作っている。

こうして作ってみると、起点がなくておさまりが悪い。そもそもなんで戦略をたてようとしたのか、なぜ現状ではよくないのかがわからなければ、戦略ストーリーを考えるといっても趣味の世界になってしまう。骨法の5にもあるように、起点としての現状や戦略構築の文脈というものも必要な気がする。ここで起点なり経緯なりをContextとして、戦略ストーリーの6Cとでもすれば、もっとおさまりがよいような気がするのだが。楠木先生にもご一考いただきたいものだ。



以上、勝手気ままに感じたことを書き連ねてきた。繰り返しになるが、個人的には本書はストーリーを作る思考法のヒントとして非常に参考になった。本書を参考に、戦略に限らずストーリーを作ってみたいものだ。

ストーリーとしての競争戦略 徹底解読(6)


【ストーリー作成の骨法】
第六章はスルー。というのは、それまでの内容をガリバーの事例で解説しているだけだから、解読の必要がない。

ということで、第七章。個人的には、この章が本書の白眉であり、(少なくとも私のようなストーリーに興味のある人間にとっては)最も実用的なものが書かれていると感じる。

では、早速骨法10ヶ条を見ていこう。

1.エンディングから考える
2.「普通の人々」の本性を直視する
3.悲観主義で論理を詰める
4.物事が起こる順序にこだわる
5.過去から未来を構想する
6.失敗を避けようとしない
7.「賢者の盲点」を衝く
8.競合他社に対してオープンに構える
9.抽象化で本質をつかむ
10.思わず人に話したくなる話をする

このまま並列だといまいち落ち着かない、という悪い癖があるので、強引にまとめてみた。まず、7と8はある意味競争戦略策定に関するコツみたいなものなので、今回はスルー。

残りについてみてみると・・・、
・一貫性のあるストーリーにするための骨法:1、3、4
 ストーリー(特に戦略ストーリー)は、一貫性が命。そのために時間軸を押さえるのと、各要素を詰めるという二点はどうしてもやっておかなければならない。自分自身よく言うのだが、時間軸、要はプロセスを考える際には、「おしり」から考えていくのが効果的だ。1はまさにそのことを指摘している。ということで、まずは「めでたしめでたし」から考えましょう。

このエンディングから考える、というのは、本書で述べている一貫性の確保、ということ以上に、あまり意味のないゴールに迷い込んでしまう、という弊害を避ける面でも有益だ。どんな「めでたしめでたし」にしたいのかによって、ストーリーは全然違うものになる。最初から漠然とゴールを考えていると、いつの間にやら違う場所にたどり着くことがあるので、おしまいから考えることが必要になる。

また、構成要素をつなげる際には、「本当につながるのか?」を突き詰めることが必要だ。その突き詰め度合いとして、筆者は「悲観主義」という言葉を使っている。別に「つながらない、どうしよう・・・」と悲観しなくてもいいのだ。言い換えれば、反証を打ち消すことができるか、とか何でもいい。とにかく厳密さが必要になる、という意味だ。

4の順序は、1と同様時間軸の話。これは1ができていればある程度担保されるのではないかと考え、スルー。


・スタートとゴールを見通す:5
5は言葉だけ見ると、「1と矛盾してるじゃん」と感じるが、ここは時間軸の話をしているわけではない。スタートラインをはっきりさせる、という意味だ。特に戦略ストーリーを考える際、「めでたしめでたし」だけ考えていると、単なる夢物語で終わってしまうことがある。それを避けるには、スタートラインがどうなっているかを冷静に見ることが必要。私たちの戦略は常に現在とつながっているのだ。


・コンセプトを磨く:2
前述の通り、コンセプトは顧客を知ること。単にプロフィールを知るのではなく、顧客の「本性」を知ること。これが重要である。ここは前述したのでスルー。


・アイデアを生み出すコツ:9
個人的にはこの骨法の中で1と並んで重要だと考えているものだ。リアルなものを捉えられない原因として、そこからの抽象化ができないために、単にその場の状況を示しただけになることから、リアルに捉えようとしなくなる、というものが考えられる。そう、本書でも触れていたが、リアルなものは「生もの」なのだ。持ち運びはマグロと一緒で冷凍しないといけない。それが抽象化だ。


・アウトプットの途中でのコツ:6
まあ、最初からいきなりすごいものを完成させる必要はない、ということ。肩の力を抜いてストーリーを考えましょう。


・アウトプットへのこだわり:10
まあ事業立ち上げ時に誰彼関係なく話してしまったら元も子もないが、それくらい自分でも魅力的だと感じるストーリーであれば、成功は間違いないということだ。それで失敗するなら、それは自分の思い込みがよほど激しかったことになる。まあそんな人はそうはいないはずだから、誰かに話したくなるようなストーリーができたら、迷わずゴーだろう。


という感じで、ひととおり本書を見てきた。次は、総まとめとして、本書で述べられている戦略ストーリーの5つのCはどのような関係にあるのか、の自分なりの解釈をしてみたい。